DIYな畑をやってみた

無農薬無化学肥料不耕起の森みたいな家庭菜園

生ゴミがゴミに思えなくなる

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畑には買った肥料は使ってません。森をイメージして畑をしているので、背の高い草を刈ったものを適当にばらまいて、それを重ねて重ねて腐葉土のようにしたいなと思っています。他にも、家で出る生ゴミも畑に持って行っています。肉や魚のゴミはほとんどうちでは出ないし、出ても家でゴミとして捨てているけれど、卵の殻だったり、お茶の出がらしとか、野菜の皮とかを畑に持って行ってばらまいています。生ゴミには適度に水分も含まれてるし、普段食べている栄養価の高い食べ物たちになるので、いい感じに細菌や虫たちが働いてくれる気がしています。

地表は生死に覆われている

畑をするまでは、生ゴミはただただゴミとしての認識しかありませんでしたが、畑をし始めて、ゴミという認識がそもそも変だったなってことに気づきました。森は枯れたものや腐ったものを栄養にして新たな命を生み出していきます。生ゴミという認識で言うならば、自然にとって生ゴミはすごく大切なものなのです。刈った草や、木から落ちる葉っぱや実なんかを生ゴミとは呼ばないけれど、家で出た野菜の切れ端は生ゴミと呼んでいます。森ではさらに動物のウンチだって死骸だって土になっていきます。生ゴミもウンチも死骸も命を育みますが、それは生きる活動があるからこそ排出されるものでもあるのです。地球の地表はこうやて生死に覆われています。様々な動植物のその生きる営みや、その排泄物や死骸が覆って循環しているのです。

自然の循環の中に自分の身を置けているか

私たちは生き物として、生まれて、ご飯を食べて、排せつして、死んでいきます。本来的には私たち生き物の生き方は自然の循環の中にあって、無駄になるところがないはずなのです。木の実をついばんだ小鳥が違う場所でフンをしてそこに種を残すように、私たち人間の家庭から出た生ゴミは私たちの活動から排出される自然物で、意味があるもののはずなのです。ですから生ゴミを畑に還す時、ちゃんと私の営みは自然の循環の中にあるなという気になれます。

急がずに求めすぎずに謙虚でいたい

「自然の循環の中にある」というのは私の行動指針です。自然の循環からできるだけ外れない行動をしたいのです。ただ、畑というのは、厳密に言うと自然ではありません。工場と同じ人工物です。人が手を加えると必ずもともとあったバランスを乱します。ですから謙虚さを決して忘れたくはないなと思って、私の畑では時間をかけて自然と折り合える日を目指しています。