DIYな畑をやってみた

無農薬無化学肥料不耕起の森みたいな家庭菜園

DIYでする畑って何ぞ?

このブログのタイトルは「DIYな畑をやってみた」ですが、そもそもDIYでする畑って何ぞ?ということを今回は説明していきます。

とは言え、正直あまり深くは考えてませんでした。「DIYでする畑=家庭菜園」のことなんじゃない?というような感じです。

WikipediaではDIYのことを、「しろうと(専門業者でない人)が、何かを自分で作ったり修繕したりすること。」とあるので、あながち外れてもなさそうだし。

ちなみに、英語では家庭菜園のことをKichen gardenって言うみたい。これは言いえてますね。確かに、家庭菜園って冷蔵庫とか貯蔵庫としても機能する感じがあるので、まさに外にあるキッチンって感じもします。

「自分で」というこだわり

まあ、なんとなくフィーリングでつけたタイトルですが、ちょっとひっかかってね。何でこんなタイトルにしたんだろう?って。で、改めてよく考えてみると、フィーリングって的確だななんて思いました。別に「家庭菜園やってみた」でもよかったのに、わざわざ「DIYな・・・」ってつけたい気持ち。このあたりにすごく私の気持ちが入っていることが後でわかったというわけです。

「自分で」っていうこだわり、それが強いです。自分で作る、自分でするっていう時、その源泉となるのが自分で考えるってことだし、自分で感じるってことだと思います。

畑で人となりがわかる

畑ってすごくその人が出ます。市民農園の中を歩いてみなさんの畑をのぞかせてもらうと、本当に色々なんですね。定規使ってるのかな?と思うくらいに、畝にしても何にしても極端にまっすぐな人もいるかと思えば、私のようにぐちゃぐちゃで適当な人もいるし、草だって一本たりとも生えてない人もいれば、私のようにボーボーな人もいるわけです。まあ、私ほどテキトーな人はめったにいませんが、ふり幅があるということです。それに、近所同士、同じ季節に同じようなものを植えてるんだけど、何かが少しづつ違うんですね。土の質感も違うし、葉っぱの色も、生育具合も違う。中には、珍しい変わったものを植えてる人もいます。

畑はアートだ!

みんな自分がいいと思うことや、自分がそうせずにはいれないことを畑でやっていて、それがそのまま作品のように畑の様子に現れるわけです。もうほとんどアートなんですね。だから、人の畑を見させてもらうのはすごく面白いのですが、自分の畑を見られるのは何だか気恥ずかしいのです。で、気恥ずかしいけれど、私は畑のこういうところが面白いなって思ってます。

もっと自分で考えて、もっと自分で感じてやっていきたい!私は欲張りなのでもっともっとと求めていったら、「森みたいな畑」に行きついたって感じです。結果、やる気満々だからこそ、ろくに勉強もしないし手入れもしないみたいな、カオスな感じになってます。

とがった畑のための気苦労

人から見たらちょっと異質にうつるだろう私の畑。いい風に言うと、とがってて前衛的だけど、世間的にはただ汚くてみっともなくて迷惑な畑でしょう。あまりとがりすぎると嫌われて畑しにくくなってしまいそうなので、実際、いかに嫌われないかをしょっちゅう考えてます。とにかくみなさんと仲良くすることで回避しようとしてますが、元々あまり人づきあいが得意じゃないので畑の作業よりそっちで疲れます。

いつかは広い土地付きの古い家を手に入れて、誰に気を使うことなく、庭で存分に畑したいなという夢があります。それが叶うまでの間は頑張ります。

専門家に任していたことを取り戻す

とにかく、これからも自分で感じ、考えたことをやっていくのみです。それしかできない性分です。野菜も自然だけど、私も人間なので自然だという自負もあって、私も野菜の気持ちわかるって思ってしまってる。分業が進んで色んなものが専門家によって作られるようになったけれど、私は専門家任せにしてきたことを少しずつ自分に引き寄せて取り戻したいって思ってます。失敗してもいい。むしろ失敗しないと失敗がわからないから絶対必要だし。そうやって少しづつ前進していくのが、Do It Yourselfな私の畑の試みなのです。